大学院時代より継続している、抄録の仕事がある。自宅で手軽にできるので、長いことしている。

 抄録の論文がまわってくるので、それをマニュアルに従い、こなすと同時に、自分に興味がある論文については、ついつい、深読みしてしまう。それほど時間をかけられないのだが、これまでの仕事の関係上、仕方がない。

 もう一つ興味深いことは、研究室を育った学生さんの論文を読むときである。普段は忘れているが、論文の題名と著者名で、どの学生さんであるかを特定できる。特に音信がない学生さんの場合、今何をしているのかと、つい興味を示すことになる。

 先日は、敦賀高専のM君の論文を読んだ。M君がいまでも半谷先生を慕っている様子がうかがえる論文であった。私も、気持ちを持ちなおさなくてはと、感じた。

 また、今回は、永いこと米国に留学していたHYさんが、現在、大阪大学に所属し、地球惑星の研究を継続していることがわかり、何となくホッとした。Yさんは名前がHさんであり、私がアクセントをおかしなところにおいて呼ぶことに、違和感があったようであった。これは、徳島出身の乳母(?)の方が、大塚製薬のご令嬢を呼ぶときに使っていたので、Yさんが来たときに、つい、その調子を出したと言うことである。

 それにしても、Yさんも苦労されたのだろうが、同じ研究を継続することができている様子で、何となくホッとしている。

 永いこと、抄録に仕事をしていて、また、現役を退いた現在では、この様な形での出会いは、懐かしい思いがよみがえる。そう言えば、M君は研究室で、みんなを困らせていたとか、思い出される。Yさんも、直接、間接にほとんど接点がない、ただ同じ研究室にいただけだが、その後、推薦状を書いたり、以前の大学を退職した後の方が、接点が多いかも知れない。

 それやこれや、研究室を育った学生さんが元気にしている様子を知ることは楽しいことである。

 閑話休題
 さて、自分に戻ると、昨年の3月に退職後、毎日が日曜日を楽しんできたが、ここへきて、毎日が日曜日でない日々が訪れようとしている。とは言っても、自分でまねいたものなので、仕方がないが。

 先日、家内とベトナム旅行はしたが、これまで仕事をしていた関係上、とても回数ではかなわない。これからいくら努力してみても、逆転することは不可能なくらい差が付いてしまった。

 そこで、一発逆転をかけてJICAのシニアボランティアに応募した。ちょうど良い機会の健康診断でもあり、またこの歳でもあり、合格するとは考えずにいた。まあ、心の底には、合格したい気持ちがなかったと言っては嘘である。

 何しろ、行けば、少なくとも1年間である。契約は2年であるが。これならば、一発逆転である。その結果が、旅行中にNETで発表され、何と、合格通知をいただいてしまった。さて、現実のものとなると、心配の種も沢山あり、現時点では、同意書の提出に至っていない。

 JICAの記録を見ると、880人の応募があり、120人の合格を出しているので、それなりの狭き門なのかも知れない。確かに、面接の時に、合格不合格を随分時にしていた方がおられた。日曜日組は、合格不合格に関わらず、全く問題がないので、涼しい顔をしていたが。

 現時点では、何となく弱気が出ており、さてどうしたものか?