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12月のブログ [日記]

12月31日 大晦日
本年もこのブログにお越しいただき、ありがとうございました。
自分で言うのも変ではあるが、この何の変哲もないブログへお越しいただいた、読者の皆様にお礼申し上げます。
このブログの主たる目的は、私を知る人が、このブログに来ていただき、ブログが更新されている間は、私が元気に過ごしていることを確認していただくものである。

そんなわけで、今年も大晦日を迎え、無事にこの日までブログを随時更新することができました。

来る2023年もよろしくお願いいたします。


12月30日:年の瀬を迎えて
2022年も残すところあと一日、来年には喜寿を迎える。定年退職して前回のウサギ年の一月に、京都・滋賀のウサギにゆかりのある寺社を巡ってからもう12年が経つ。

今年は、娘家族との二所帯生活にも慣れてきて、お遍路の巡拝も順調に進んだ。自転車での目標年間(2000km)、月間(170km)走行距離も基本的に達成できた。生活感としては、まあまあと言うところである。

小林一茶の句に言うように、「めでたさも中くらいなりおらが春」というところであろう。すぐに正月である。人生、中庸が大切である。




12月27日:サイクルG3のブログ
さいくるG3のブログを良く見ている。写真が多く、良くこれだけの写真をUPするものだと感心している。関心のところにもう一つ。G3の自宅は2階屋らしく、その2階に自室がありそこでブログを書いている様子。G3の年齢は私よりいくつか若いが、その2階に一日何回行くのであろうか?
我が家は、一階しか使用していないので、階段を登る作業がない。階段を登ると運動になるので、本当は、2階があると良いのだろうが。以前はアパートに住んでいたので、EVを使用しないで、日に一回くらいは階段を利用して、脚を”鍛えていた”?。階段を上って我が家に着いたときには、かなり息が上がっていたことを記憶している。
歳をとると2階があっても使用しなくなる。私の実家でも家内の実家でも、2階は全くと言っていいほど私用されていなかった。2階は子供部屋で、子供がいなくなると誰も使用しなくなる。
老人になると、狭くても、ワンフロアーの家が使い勝手が良い気がする。
そう考えると、都会に建っている3階建ての家の使い勝手は如何なものなのであろう?若い人専用であろう。


12月26日:一喜一憂
昨日のブログで体重計のことを書いた。体脂肪率が高いことが問題であると。しかしながら、今日、自転車に乗り有酸素運動をしたところ、1%ほど低下した。
体脂肪率は日々の値としてどの程度変化するものなのであろうか。しかし、内臓脂肪レベルは9で変化がなかった。
体組成も良くわからない数値である。

12月25日
体重計を新しくした。当然、いろいろな数値が出てくる。しかし、それが問題である。
体脂肪率が高いのである、18%ほどもあり、標準内とは言え、体重から考えると、高い割合である。さらに、内臓脂肪レベルが9もあり、もう少し下げたいところである。この結果として、身体年齢もそれなりに高い年齢となってしまった。
この年齢であるが、心拍数より推定されるフィットネス年齢とほぼ一致している。これはびっくりと言うところである。フィットネス年齢が上昇気味であり、VO2Maxが低下気味で、このところ良くない傾向がある。
寒いこともあり、外へでることが少なくなっていることも原因のひとつであろう。歳をとると、外出が億劫になり、それが引き金となり、さらに身体年齢が高くなってしまう。
冬が終わり、外出の機会が増えることを期待しよう。コロナもその原因のひとつではある。


12月23日
寒い一日であった。AMに少し離れたスーパーへ買出しに出かけた。孫と一緒だったこともあり、途中、寄り道をしながら、また、途中で孫が遊んでいるのを眺めながらだったので、特に寒く感じた。陽だまりにいればよいのであるが、陰になると寒さがしみてくる。
ニュースによれば、南国土佐でも降雪があり、積雪が観測されたとのこと。あのような土地では、車の冬装備がないので大変だあろう。
以前、香川に住んでいたときに、大窪寺へ行き雪に出会った。幸い、スタッドレスタイヤをつけていたので、問題はなかったが、地元の人たちは大変な様子であった。基本的に香川に人はスタッドレスタイヤを持っていない。私の場合、山間部へ出かけることが多いこともあり、準備をしていた。
しかし、現在、東京に住んでいるが、雪の時には運転しないと決めているので、スタッドレスタイヤは用意していない。また、用意する場所もない。
そんなわけで、ニュースを見ながら、香川でのいろいろな思い出が浮かんできた。


12月22日
冬至である。一日の昼の時間が最も短くなる日ではあるが、日の入りは最も早い時に比べ遅くなってきている。日の出は遅くとも、日の入りが遅くなってくれると、日がのびた気がする。まあ、これからは、日がのびることになるので、何よりである。日の暮れが早いと、気持ちがせいてしまう。
とはいえ、冬至の行事である、かぼちゃを食することと、ゆず湯に入ることを行い。健康で無事に歳が越せるように、ご先祖様にお願いをした。年末にはご先祖様にご挨拶に行かなくてはいけない。


12月19日
昨日の東京新聞に面白いまんがが載っていた。たぶん多くの家庭で事実なのであろうが。孫が1mの長い物差しのメモリを指して、自分、兄弟、両親、「おばあさん」、「ひいおばあさん」の年齢のところだと言うものである。
何の問題もないのだが、おばあさんは60代であるが、なんと、おじいさんが欠けている。ひいおじいさんはしかたがないとしても、おじいさんが欠けていると言うのは、自分を考えると、さびしいものがある。
一般的認識においても、男性の寿命は短いと言うことである。それでも平均寿命は82歳ほどなのだが。
このまんがのおばあさんのつれ合いは幾つくらいを想定しているのだろうか。その点だけが疑問である。


12月15日
昨日、5回目のワクチンを接種した。副反応が心配されたが、予防的に服用したカロナールの効果が効いたのか、本質的にそれほど副反応が起こらなかったのか不明であるが、発熱、頭痛の症状は出なかった。接種した側の腕が重いのはしかたがないことなのであろう。大きな副反応が無いということで、何よりと言うところである。

熱も正常値ないに収まっているので、免許証の更新へ行ってきた。一番の課題は視力検査であるが、今回は難なくクリアすることができた。通常かけているめがねでOKということである。
前回は、特にめがねを免許用に新調して望んだが、拍子抜けである。ダメな場合には、新調すればよいと気楽に考えていたのが良かったのかもしれない。いとも楽観的である。

今回の更新で、3年間であり、次の更新は80歳の大台に乗ることとなる。その時にはどんな体調となっているのであろうか?現状と変わらない体調を維持することができればよいのだが。昔を思うと、80歳とはすごいおじいさんである。自転車に乗れてバランスが取れていれば、自動車の運転も大丈夫であろう。バロメータは自転車である。

目指せ、巡航速度30kphである。これが達成できれば、自動車の運転もOK。まあ、27kphくらいでも良いと、弱気ではあるが。


12月9日
先日、車検を終えた。車検を終えた車(レガシー・ツーリングワゴン)は、すでに19万kmを走行し、22年経過している。一般的な車としては、古い車である。最近は年間1000kmほどしか動かさないので、走行距離が伸びない。古くなったとは言え、高速道路での安定性は、軽自動車(タント)より上である。

見た目は、まだまだ塗装も輝きがあり、中古車らしいくすんだ感じではない。車をそれほどワックスをかけるわけではない。それでも、塗装が大丈夫であると言うことは、この車が作られたころの塗装の技術が上がっていたと言うことであろう。

あと、海岸から50mほどのところに20年間ほど駐車しているにもかかわらず、錆が出てきていない。車検のたびに下回りの清掃はしてもらうが、特段の防錆処理をしているわけではない。

あと何年くらい動いてくれるかである。免許の期限があと3年であり、その先3年また延長することができるかどうかわからない。最大、6年間動いてくれれば良いというか。まあ、動かなくなれば、廃車にすることになる。これだけ長く付き合ってくると、最後の別れはさびしいものであろう。

なにしろ高齢者の運転技能にいちゃもんをつける人が多いので、車が先か人間が先かである。さてどうなることやら。


12月9日
原子力発電所の寿命を延ばすとの記事が出ていた。稼動していない期間を、寿命の期間に含めないと。物は使っていなくとも経年劣化が進むわけで、なんとも、不思議な議論をして、それに賛同する人がいるものである。

原子炉がどのくらいもつのかについては、今のところ、実証された例がないので、年限を決めることは難しいかもしれない。ただし、安全性を考慮すると、寿命まで使用することはできないはずである。

使用していて、寿命でした、放射性物質が漏れてしまいましたではすまないのである。

福島の例を実までもなく、絶対的な安全はない。それと、人が介在するので、ミスが生じる。AIですればよいと言うが、AIのプログラムにミスがあった場合にはどうするのかである。ミスはどうしても起こるのであり、その時に、最小限のトラブルでとどめることができるかどうかである。

原子炉の寿命は素直に60年、できれば40年として、それで廃炉として、新しい原子炉を作ればよいのである。ただし、新しい原子炉を世論が作ることを賛成するかどうかは問題であるが。安全を見込んで、40年としたのだから、人間の都合だけで、勝手の寿命を延ばされても、原子炉も困るであろう。それで事故が起きた場合、もっと困るのは周辺住民であり、日本人全体である。

この様に書くと、原子力発電に代わるエネルギー源が無いという。さて、これからの日本で、どれだけのエネルギーが必要となるかである。なにしろ、少子化で、50年後の日本の人口は5千万人程度であろう。そう考えると、今ほどのエネルギーの量は必要なくなる。
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